日本の食文化 麹との出会い
私、遅ればせながら、35歳の時に結婚し故郷に帰る。法野麹店へ婿入りする。麹(糀)のことを全く知らないのと同じである。昔、ばあちゃんがかぶら寿しを作るのに、こたつの中に毛布にくるんだ鍋を入れていた。どうもその中にあったのが麹とご飯だったらしい。何時間かするとぷーんと異様な臭いがしてくる。小学校の頃の話である。私的にはかぶら寿しは大好きなのだが、この臭いは、好きになれなかった。あと2年に1回ぐらい自宅で味噌を煮ていたような記憶がある。まあこれもほとんど手伝いをしたのかさえよく覚えていない。
独身時代、スーパーで買い物をした際にも麹というものを見たこともなかったし、見たとしてもどうやって使うのか知らなかった。こんな自分が麹屋に入り、麹は日本の食文化の要。例えば酒・味噌・醤油・酢・味醂・甘酒などは、麹菌が働いて作られています。健康にも良く、おいしい麹食品は、日本人が世界に誇れる宝物です。なんてことを言っているわけです。
「富山はこうじの里」に認定!研究会にも参加
もちろん、仕事でもあり本も読みます。昔からのことも聞きます。これでいいのかなと思っていた時、富山県は、日本一麹屋の多いところ(人口比)ということで、「富山はこうじの里」と認定されました。そのとき有志を募って「とやま麹の里研究会」を作ろうと、富山の新村さんに声をかけられ、皆さんの生の声が聞けると参加しました。富山県食品研究所が会合の場所で、最初は自分たちが実際に作っている麹を持ち寄って、どこの種麹を使って、どのような工程で作ったかを検証しました。会合の場所が食品研究所なので、必要なものはデータをとってもらえ勉強になりました。
麹文化を後世に伝えたい
会の趣旨は、麹の研究もありますが、とにかくこの麹文化を絶やしてはいけない。麹のことを知っているおじいちゃんおばあちゃんがいる今、行動を起こさなければならない。とはいっても、なかなか前に進まないジレンマを抱えながら、10年ぐらいの年月が過ぎました。そこへ、浅利さんとの出会いです。
日本の発酵調味料の素となる麹の活躍の場をもう一度家庭の台所に戻したいという彼女の強い気持ちが今回の麹ブームを起こしました。研究会で学んだ「麹文化を絶やしてはいけない」という気持ちとリンクし、未来の子供たちの為にも共に行動を起こそうと思っています。そのためにも先ず自分の店の土台作りを進めようと思っています。
店長プロフィール
1958年 | 富山県福光町に生まれる。(この年 長嶋茂雄さんが、巨人軍入団) |
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京都産業大学を卒業後、関東にてサラリーマン生活。 1993年遅ればせながら35歳で結婚 結婚を機に地元福光へ 麹屋へ婿入り 2年間サラリーマンをしながら麹の勉強 |
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2000年 | 42歳よりどっぷり麹につかる |
『富山はこうじの里』に認定 これを機に有志6名(いにしえからの食文化麹を絶対に絶やしてはならないと)で「とやま麹の里研究会」を発足 |
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2001年 | この年より毎年、おわら風の盆にて、甘酒を販売(麹文化周知の為) |
2010年 | この頃、塩こうじが認知され始める |
2012年 | 麹ブーム爆発(塩麹による) こうじ屋ウーマン浅利妙峰さんと出会う 現在 6人家族(中学生・高校生の息子を含む)助け合いながら、麹屋を家業として営む |